
兵庫 専門学校に行こう
ワシントンを中心とする独立宣言文やアメリカ憲法に盛り込まれた理念を教えないで、インディアンをいじめた話ばかりを教えるアメリカなどあり得ない。
仮に、日教組が推進しているような歴史教育をアメリカが行えば、おそらくアメリカの国は持たない。
アメリカという国が隆々として存続しているのは、まさにそうした歴史教育を行わず、子供にはまずアメリカの理想を教えているからではないだろうか。
先に強調したように、設置基準が取り払われ、いたるところに先生が思い思いの学校をつくるようになったとする。
いまある学校はいままで通り存続していて、いまの学校に入りたい人はそれでもよい。
いまの塾のようなものでいいという人もそれでよい。
塾のような学校といままでの学校と両方に行きたい人はそれでもよい、という形にする。
その結果がどうなるかといえば、先述したように、日本の歴史を真っ黒に教える日教組の学校は大部分の親からは選ばれない。
そして、塾だけでいいという人がジワジワと増える。
ジワジワではなく、急激に増えるかもしれない。
この傾向と少子化によって、いまの公立学校はガラ空きになってくる。
ガラ空きになった場合には、それに応じて教員を減らすべきであり、学校の規模を縮小させるべきである。
それで教室が空いているのなら、それこそ塾に貸し出してもよい。
これが実際に行われれば、地方財政も大いに違ってくる。
その現実を直視して、在来の学校の教員たちが塾に負けないように教育に励んで生徒を呼び寄せるのであれば、これはまたたいへん結構な話である。
そうした努力をする学校は、おそらく人数も減らないであろう。
教員が怠惰であったり校長の管理が悪いような在来の学校は、潮が引くがごとく生徒が集まらなくなり、ガラ空きになる。
ガラ空きになった学校は廃校になる可能性もある。
「廃校になる」という恐れが絶えず教員たちに与えられるわけである。
このような形にすると、日本の歴史から見て、日本人のエネルギーや潜在能力がどの国の人も想像できないほど発揮されるのではないだろうか。
旧幕時代でいえば、義務教育はなかったものの、少なくとも都市部では識字率が世界最高になっていた。
そして、たとえば豊後(大分県)の日田という田舎にHという素晴らしい先生がいると聞くと、日本中から数千人が集まるといったこともあり得た。
あるいは、塾にもならないような小さな規模でも、M塾のようなところで教育力のある先生がいれば、そこから維新の元勲になるような人も出るということもあった。
いわんやいまの日本で教育の自由化をやるならば、それこそあらゆるアイディアを使った面白い塾ができるのはまちがいない。
このような話を私は教育関係者にしたことがあるのだが、そのとき、ある先生がこう語っていたのを思い出す。
「もし、学校に行かなくても塾でもいいですよと言われたら、私は明日からでも学校の教員を辞めて塾を始めたい。
自分がやりたいという教育理念、理想があるのです。
いまは、学校には必ず行かなければいけないので、いま塾を始めても、子供が帰って本当は休むべき時間に教えなくてはいけない。
それを考えるとできない。
塾だけでいいなら、私は明日からでも始める。
私の理想は子供の教育は朝5時から始めることなのです」。
そこまで聞いて私は、「朝5時から塾が始まるのでは、子供は朝4時半頃に起きなければならないじゃないですか」と問うたところ、その先生はニッコリ笑って「朝4時半頃に起きる生徒に不良少年は出ませんよ」と答えた。
これには、なるほどと膝を打ったものでる。
朝5時から7時頃までギッシリ集中して勉強して、朝ご飯はみんな一緒に手を合わせて天地の恵みに感謝して頂く。
それから、また昼頃まで勉強する。
午後からは何もないので帰ってよろしい。
アスレチッククラブと契約を結んで、そこで水泳をやるのもいい。
得意な運動があるなら、学校でやるよりむしろプロがついているアスレチッククラブと契約する形のほうがいいとも思う。
夜は明日の朝が早いから早く寝る。
夜遊びなどする時間がないので非行にもならない。
じつにいいアイディアだと思ったが、現在の制度ではこれ限界である。
われわれが考えた教育基本法であれば、こうした様々なアイディアが教育機関に活かされ、多種多様な教育機関から多種多様な人間が出てくるはずである。
21世紀、どんな事態が生ずるかもわからないような時代には、日本にはまさに多種多様な人間こそが求められる。
言い換えれば、21世紀の日本が必要とする多種多様な人材を育てるには、多種多様な教育機関が必要だということだ。
画一化した教育をいくら進めても、世の中が猛烈に変わる時代に適応能力が高い人をたくさん育てられるとはかぎらない。
教育機関が多様であれば、多様な伸び方をした人がいることになり、それは極めて適応能力の高い国をつくることになる。
歴史的な例でいえば、たとえば幕末前後の日本と他のアジア、わかりやすく隣の当時の李氏朝鮮を比べてみる。
李氏朝鮮の教育は朱子学一本。
しかも、科挙の制度で縛られていたので、科挙の制度に通らなければ出世する道はない。
地方分権もない時代だから、それ以外の多様性はほとんど不可能であった。
一方日本は、いちおう幕府では林大学頭の下で朱子学を中心に教えていた。
藩校の多くも朱子学が中心ではあったが、朱子学は駄目だという山鹿素行の流れもあれば、中華とは本当の意味では道徳的にも実際的にもむしろ日本であるというようなことを論証したY学派、そうしたことを離れて国学をやる人もいれば、もちろん儒学における古学派であるとか、仏教の教育もたくさんあって、お隣の国とは比べようもないほどの多様な教育があった。
それで、西洋の植民地帝国がアジアに来たときの適応能力がどうであったかといえば、公平に見て、日本が百だとすれば李氏朝鮮は十程度ではなかったか。
それは朝鮮半島の人の民族的性質がどうということよりも、李氏朝鮮時代の教育制度があまりにも画一単線だったために適応能力のある人が出ていなかったことが最も大きいと思われる。
この明治維新の頃は海の向こうから欧米植民地文明がやってきたが、21世紀の未来からは何がやってくるかはまるでわからない。
そのときに適応できるのが「このような人材だ」とは誰にも断言することはできない。
であるならば、何がやってきても適応できるよう、多様な人間を多様な教育機関でつくっておくより仕方がない。
それが国としての適応能力を高める最善策だと思う。
いま、教育問題への関心が極めて高まっていることは大いに喜ぶべきことである。
しかし、その議論があまりにも小手先的で口先的であり、抜本的なものではない。
本当に日本の将来と教育を憂えるならば、まず教育を自由化してみよと私は提言したい。
いまから17年前、教育臨調が行われたときに同一の主旨のことを提案したが採り入れられず、よって今日の体たらくである。
17年前にわれわれの提言を読んだ某校長先生は、当時、「いっていることはもっともだが、ちょっと極端だ」という考えを持たれたという。
ところが、その方に2年前に会ったところ、「その後を見ていますと、あなたのいう通りにしなければ駄目なことがわかりました。
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